わが街 わがふるさと 兵庫県西宮市
わが街 わがふるさと 兵庫県西宮市 弁護士杉島 幸生
小学生まではお隣の西宮市に住んでいました。ですから、「わたしのふるさと」と言われると、西宮がまず頭に浮かびます。そこで、今回は、西宮という言葉から私の記憶に浮かんだことを、つれづれなるままに書きつらねてみたいと思います。
私が、西宮という言葉で、まず思い出すのは、「西宮の浜」です。今ではすっかり埋め立てられてしまいましたが、私の子どものころはまだ海水浴場だったころの名残がありました。海岸沿いには、子ども向けの釣り堀や、勝海舟が黒船襲来にそなえて建築したと言われる西宮砲台などがあります。今の西宮砲台は外壁が綺麗に化粧され、フェンスで囲まれていますが、当時は積み上げられた石積みの岩肌がむき出しで、柵には大きな穴があり、子どもたちは自由に中に出入りすることができました。入ってみると中側の壁はすすけて真っ黒。建築直後に実際に大砲を撃ってみると建物の中に煙がこもって使い物にならなかったそうです。
西宮は酒どころ、白雪、多聞、忠勇、大関、白鹿などなど、名だたる酒造会社が立ち並んでいます。当時、小学生の私がお酒を飲めるはずはないのですが、子どもたちの間で、コルク栓でできた酒蓋をメンコのようにして取り合う遊びが大流行し、酒蓋を求めて酒造会社を渡り歩いたことを覚えています。ある日、やんちゃざかりの兄と私で、ある大手メーカの倉庫に忍び込み、床に落ちていた酒蓋を拾い集めていたところ、倉庫係の人に捕まえられたということがありました。怒られると思いきや、その人は私たちが倉庫に忍び込んだ理由を聞くと、笑って段ボール箱一杯の酒蓋をくれました。その中には私たちが目したことのないような銘柄の酒蓋もたくさんあり、翌日、私たち兄弟は、学校中の英雄に・・・もちろん、その日以降、酒蓋の学校への持ち込みが禁止されたのは言うまでもありません。
西宮戎も忘れられません。1月10日の戎祭りでの化け屋敷や輪投げ、金魚掬いなどもいい思い出です。生徒だけでの参加は禁じられていましたが、そんなことを真面目に聞いているクラスメートはいなかったように思います。
甲子園球場があるのも西宮です。当時は、年に一度、市内の小学生(高学年)が集まって小連体(小学連合体育大会)という催しがありました。甲子園のグランドでリレーや組体操などをしていると、小学校のグランドとは違った高揚感を感じたものです。
夙川の桜、香櫨園の浜(私が住んでいたのは香櫨園でした)、「火垂の墓」の舞台となった満池谷(ニテコ池)などもいい思い出です