武富士残業代不払事件
武富士残業代不払事件 弁護士 河村 学
一 はじめに
武富士事件の紹介は、既にいろいろなところで行っている(労働法律旬報1551号25頁等)。この事件の社会的影響は非常に大きく、企業のサービス残業摘発に大きく拍車がかかったし、また、使用者・労働者双方に対して、残業代の未払が法律上許されない犯罪であるとの認識を拡げた。武富士内部についても、2003年7月28日、約5000人の従業員(現・元を含む)に対し、約35億円の残業代未払分が支払われた。
本稿では、事案の簡単な説明とともに、若干の感想を述べたいと思う。
二 武富士事件の事案概要
1 残業代不払の実態
武富士では、男子従業員の場合、常態として平日午前8時から午後9時までは働かせており、休日出勤等も併せてその時間外労働は月100時間を超えるような状態であった。にもかかわらず、武富士は、25時間を超える残業時間を出勤表に記載することを許さず、業績が悪いときには、本社からの指示で、「男子は15時間です。女子はなしです」などと通達し、その時間の範囲でしか出勤表への残業代の記入を認めなかったのである。
その後、原告らは、武富士を退職するとともに、労働組合に加入し、過去の残業代の請求を行ったが、武富士は就業規則に規定されている退職金の支払さえ拒むという態度であった。
2 提訴及び告発
その後、関西合同法律事務所の松本、杉島、河村が弁護団を組むこととなった。そして、2001年4月26日、残業代等請求を大阪地裁に提訴する一方、同年7月10日、労基法違反を理由に、天満労働基準監督署に株式会社武富士を告発した(是正申告も同時になしたのであるが、労基署の要請でどちらか一方にしてくれと頼まれ、是正申告は取りやめた)。
その後、訴訟でも、労基署でも、就業時間の特定が問題となったが、この点がまさに難関であった。武富士には当然にタイムカードのようなものはなく、しかも残業時間等の記載は、当該従業員が武富士の命令に基づいて自分で記入するという建前になっていたからである。ただ、武富士は、顧客と従業員を管理するために、顧客に対する電話による請求記録を残しており、そこには電話をした従業員名も記録されるようになっていた。従業員は始業から終業までほとんど電話による請求行為をしていたため、この記録こそが就業時間特定の手がかりであった。
そこで、訴訟においては、原告がこの電話記録の提出を再三求め、武富士側は、その記録提出には、莫大な費用と時間(単純に推計しても数ヶ月かかると言っていた)がかかるとしてその提出を拒むという状況で行き詰まりを見せていた。
ただ、弁護団は、その間、訴訟外では労基局と継続的に連絡を取り合い、捜査の進展による事態の打開を図っていた。労基局の対応はかなり慎重で、他の労基局との連携の問題や武富士の従業員が債務保証等で脅されていて協力を得られないなどの理由で、幾度か捜査が頓挫する危惧さえ生じたこともあった。弁護団は、労働局への申し入れを行い、また、労働局から要請される必要な協力を行うなどして捜査の進展を働きかけた。
3 武富士本社等への捜索・差押及び訴訟上の和解
2003年1月9日、大阪府労働局は、労働基準法32条及び37条違反の被疑事実で、武富士本社、同大阪支社を含む7カ所の捜索・差押を行った。労働局が、大企業に対して、強制捜査を行うことは極めて異例であるが、これは、労働時間管理の適正に対する労働局の強い姿勢の表れであり、また、本件事案として、全体の被害がかなり大きいものであること、武富士が度重なる是正指導にも応じようとしなかったこと、労働時間を特定できる内部資料が存在すること等の要因があったことによると思われる。
この強制捜査の後、民事訴訟の方は急展開し、同年2月20日、和解が成立した。和解の中心的内容は、①請求していた残業代等のほぼ満額の支払い、②残業代未払についての謝罪、③適正な労働時間管理・賃金支払の宣言その他(公表できない内容もある)である。弁護団では、この和解の点でも相当議論をしたが、当事者の意思を尊重し、全面勝訴的和解を宣伝することの効果と、当該事案における立証の状況等から和解に踏み切った。
三 本事件に携わっての感想
1 本事件において、最も重要だと思われるのは、残業代不払は犯罪であることを社会的に認知させた点である。
従来、労働基準監督署は労働者からの是正申告に対して、申告後の改善のみを指導するという方法が行われていた。しかし、これでは、企業にとってはサービス残業を行わせた方が結果的に有利となってしまう。
本事件は、単に不払賃金の支払をさせることで法律上当然の義務を果たさせたというにとどまらず、これを犯罪として認知させ、社会的ペナルティを与えたという点に大きな意義を見いだせる事件といえる。
2 次に、労働者の権利を擁護・実現する上で、行政機関と連携することが必要であることを改めて感じた。
労働行政機関に対する申告・告発等は、よく判らないとか、効果について疑問があるとか、役に立たないとかの理由で、積極的に活用される例が少ないように思われる。
しかしながら、労働行政機関は一面では柔軟に、一面では権力的に、問題を処理する権限を与えられており、労働者の権利保護に大きな力を発揮する可能性があると思われる。
本件においても、行政機関への告発とこれに基づく強制捜査の実現が、原告に支払われなかった賃金を支払わせ、それと同時に、約5000人の武富士従業員の残業手当未払分約35億円を支払わせる契機ともなったのである。
行政担当者のやる気等にも大きく左右されるが、労働行政機関に対する申告・告発を、労働者任せにすることなく、弁護士が積極的に活用し、行政担当者を動かす努力を図ることが必要ではないかと思われる(別件ではあるが、クラボウ思想差別事件では、2003年6月10日、思想差別を認定した第一審判決も添付して、労基法3条違反で大阪労働局に告訴を行った)。
なお、労働基準法違反や、労働安全衛生法違反について、労基署へ申告・告発するばかりでなく、派遣労働者や偽装請負・偽装業務委託的な労働関係に置かれている労働者について、派遣法違反・職業安定法違反を理由に、職業安定所に申告・告発することも有効であると思われる。殊に、後者については、労働者の法律上の権利保護が薄弱であるため、行政機関を活用した解決が最も効果的な場合が多い。
3 さらに、本事件を通じては、行政機関の対応に比し、裁判所の対応が極めて消極的であった点が印象深い。
本事件では、武富士がサービス残業をさせている事実については一部の証拠から明らかであったが、裁判所は、日々の就労時間の個別の立証を原告に求め続けた。
しかし、タイムカード等での労働時間管理が適正に行われていない企業において、労働者側がこのような立証を完全に行うことはまず不可能といってよい。そして、このように労働者に過大な立証責任を課すことは、結局のところ、適正な時間管理をせず犯罪行為の隠蔽をうまくやっている企業の方が、仮にその犯罪が発覚した場合にも、民事上は得をし、労働者は労働基準法上の権利・利益を享受できないという結果となってしまうのである。
就労時間の適正管理義務、その立証責任に関する立法的な手当が必要なところと思うが、そのような立法がない場合でも、適正な時間管理を行っていなかったことのリスクは企業が負担すべきなのであるから、少なくとも実際の労働時間についての蓋然的な立証を労働者側で行うことができた場合には、日々の就労時間についてより短かったことを使用者が立証する責任を負うと解すべきである。
なお、武富士事件では、実労働時間を立証するための資料として、前記の電話記録の外に、店内に設置されたビデオテープや店舗の開閉に関する警備記録等が考えられたのであるが、対応が遅れたこともあって証拠収集ができなかった点が反省点として挙げられる。迅速な証拠収集は、労働事件に限らず、最も重要な活動であることを改めて感じている。
4 最後に、労働者の権利を実質あるものにするためには、企業組織の内部に、企業の法違反を監視・告発する労働組合の存在が不可欠ということを強く感じた。
武富士は長年にわたって残業代の不払を継続してきており(その不払額の合計は莫大な額になると思われる)、原告の勇気ある問題提起までその改善はなされなかった。それは、企業の法違反を監視・告発を行う役割を担う者がいなかったからである。
外部的には、労働基準監督官がその役割を担う者と位置付けられているが、貧弱な労働行政のもと、この役割はほとんど果たされていない。
とすれば、この役割を担うのは、現在のところ労働組合しかなく、これを育成・強化することが、労働者の法律上認められた最低限度の権利を実現するためにも必要であると思われた。
(弁護団は松本七哉、杉本幸生、河村 学)