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[行政]に関する記事

「子どもの意見は聞く必要がない?!」続報・高槻南高校事件

2005-01-01

「子どもの意見は聞く必要がない?!」
続報・高槻南高校事件     (2005年1月1日関西合同法律事務所ニュースより)

      弁護士 河村 学

1 高槻南高校の廃校処分

高槻南高校の廃校案決定(2001年8月)とこれに対する生徒・父母・教師・地域のみなさんの運動については以前の事務所ニュースでも報告しました。
スポーツも盛んで、中退率も府下有数の少なさという素晴らしい教育実践を行ってきた高槻南を、なぜ廃校にするのか。
生徒や地域の意見を全く聞かない廃校は許されるのか。大阪府の目指す教育とはどのようなものなのかなどの疑問が噴出し、大きな廃校反対の運動がわき上がる中で、2003年3月、裁判が始まりました。

 

2 裁判で明らかになったこと

裁判の中では、府教委のすすめる府立高校の統廃合がそもそも教育基本法の精神に反するものであること、廃校対象校の選定が恣意的に行われていることが明らかにされました。
特に、なぜ高槻南を廃校にしたのかという点に関して、府教委の担当者は、高槻市内の府立高校の所在地、面積、駅からの距離、学校の特色(これ自体極めて恣意的な記述でした。)等を記載したたった2枚の紙きれだけで、高槻南に「選定」したと悪びれもなく証言しました。一度も現場をみず、一度も関係者の意見も聞かず、各学校のプロフィールを書いただけの2枚の紙切れで、高槻南高校の廃校を決定したというのです。しかも、当初対象校は高槻南でなかったのに、何らの合理的理由もなく、直前になって高槻南に変更された事実も明るみにでました。
また、関係者の意見を聞かなかった点について、府教委の担当者は、対象校案を選定する段階で意見を聞けば混乱を招くからだと証言しました。どのような府立高校の配置が望ましいのか、どの高校とどの高校を統合することが望ましいのか、どの高校にはどのような配慮が必要なのかなどなどは、現場や地域の声、とりわけ生徒・教師の声を聞かなければ判らないはずであるのに(逆に実情を知らないで当てずっぽに対象校を選定することは地域に必ず混乱を招くことになるのに)、どの高校を対象校にするかは府教委の勝手とばかりに、全く聞く耳をもたないと証言したのです。
さらに、現に在校している生徒が、新入生が入ってこないことによりクラブ活動を断念せざるを得なくなったり、教師の減少により進学にも影響が出るなど教育を受ける権利を侵害された実態が明らかにされても、大阪府は、明白な嘘までついて被害はないといい、また、クラブの廃部に至っては、生徒の意欲の問題だなどと責任をなすりつけようとさえしたのでした。
この教育について全く無知・無理解な担当者に対して、高槻南の生徒たちは、次々と法廷に立ち、意見陳述や証言を行いました。「学校は建物ではありません。その中には人間がいるのです。…対象校に足を運ばす、書類を見て決定するやり方は間違っています。教員委員の人にビデオレターを送りましたが、ビデオデッキがないとの理由で着払いで送り返されたときは、大阪の子どものために働いている教育委員はこんなむごいことをするのかと失望しました。」。「生徒たちにとっては、私たちの学校がどうなってしまうのか、とても重要なことなのに、どうして何も説明を受けることができないのでしょうか。
子どもたちにわかるように説明をするのは、大人としての最低限の義務だと思います。」などなど。生徒に何の説明もせず、「心の傷」だけを与え、高校生活で当然享受すべき「教育」を奪う今回の廃校処分。このような行為を教育者・教育行政担当者が行っていいはずはありません。

 

3 驚くべき判決「生徒の意見は聞かなくてもいい」

しかし、2004年9月10日に出された判決は、生徒たちの訴えを全面的に退けるというものでした。その判決文は59頁に及びますが、すべて大阪府の言い分をそのまま追認するだけのものであり、そこには何らの主体的な判断もありませんでした。
先ほど述べた点については、対象校の選定は前記のようなものでも不合理ではない、生徒など関係者の意見は聞かなくてもいい、子どもの権利条約があっても関係がない、生徒には少なからぬ不利益が生じているが著しい不利益はない等々と判決文に書いているだけで、生徒たちの「なぜ」「どうして」にまともに向き合う回答は一切ありませんでした。
生徒たちの目をまともに見ることも、生徒たちの意見をまともに聞くこともできず、ただただ強い者に阿り(おもねり)、行政に遜る大人たちが、教育を語り、法を司る、この現実に、強い憤りを感じました。

西淀川公害訴訟

2004-11-14

西淀川公害訴訟   ( 関西合同法律事務所 「50年のあゆみ」から )

弁護士 上山 勤

 
1978年、西淀川区に居住する住民は関西電力・住友金属・大阪ガス・旭ガラス・神戸製鋼といった関西の大手企業と国・道路公団を相手取って排気ガスの差止めと損害賠償を求めて大阪地方裁判所に対して訴訟を提起した。ちょうど私が弁護士になった年のことだが、かっては昼間でもライトをつけなければ車が走りにくいとか、洗濯物が真っ黒になってしまう、ゼンソクで次々と患者が死んでいくといった背景におされ、やむにやまれぬ思いでなされた提訴であった。住民はまるで一揆を進めるかのように企業の門前に押しかけて抗議をしていたが埒が明かなかった。事務所でも多くの弁護士が参加したが、最後まで弁護団を構成して闘ったのは峯田勝次弁護士と上山勤の二人であった。
証明は困難を極めた。金も力も無い患者会と弁護団にとって、「被告等の企業や道路からの汚悪煙が一緒になって原告らの居住地に到達し、疾病を引き起こしている」このことを証明するためには、資料の発掘、原告からの聞き取り、社会学者や科学者の協力などきわめて多彩かつ多数の人たちの助力が必要であった。
提訴から17年目の1995年3月、被告企業らは責任を認め、原告患者らに対して、整列をした上、深々と頭を下げて謝罪をし、全面的な和解が成立した。『子や孫に青い空を手渡したい』という思いで、命がけで戦ってきた患者と家族。同年の7月5日には、井垣裁判長は、最後まで和解を拒否して争ってきた国・公団に対し、道路からの排気ガスによって原告らがゼンソクなどの病気に罹患したとして、賠償を命じる判決を言い渡した。その後高裁の手続きの中で患者側と国・公団とも和解が成立し、単なる賠償だけではなく、今後に向けた汚染防止のためのアセスメントの枠組みなどが合意された。
この西淀川公害訴訟の成果は、名古屋・川崎などの他の訴訟にも引き継がれていった。 

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