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[労働]に関する記事

武富士残業代不払事件

2003-08-26

武富士残業代不払事件 弁護士 河村 学

一 はじめに
  武富士事件の紹介は、既にいろいろなところで行っている(労働法律旬報1551号25頁等)。この事件の社会的影響は非常に大きく、企業のサービス残業摘発に大きく拍車がかかったし、また、使用者・労働者双方に対して、残業代の未払が法律上許されない犯罪であるとの認識を拡げた。武富士内部についても、2003年7月28日、約5000人の従業員(現・元を含む)に対し、約35億円の残業代未払分が支払われた。
  本稿では、事案の簡単な説明とともに、若干の感想を述べたいと思う。

二 武富士事件の事案概要
 1 残業代不払の実態
  武富士では、男子従業員の場合、常態として平日午前8時から午後9時までは働かせており、休日出勤等も併せてその時間外労働は月100時間を超えるような状態であった。にもかかわらず、武富士は、25時間を超える残業時間を出勤表に記載することを許さず、業績が悪いときには、本社からの指示で、「男子は15時間です。女子はなしです」などと通達し、その時間の範囲でしか出勤表への残業代の記入を認めなかったのである。
  その後、原告らは、武富士を退職するとともに、労働組合に加入し、過去の残業代の請求を行ったが、武富士は就業規則に規定されている退職金の支払さえ拒むという態度であった。

 2 提訴及び告発
  その後、関西合同法律事務所の松本、杉島、河村が弁護団を組むこととなった。そして、2001年4月26日、残業代等請求を大阪地裁に提訴する一方、同年7月10日、労基法違反を理由に、天満労働基準監督署に株式会社武富士を告発した(是正申告も同時になしたのであるが、労基署の要請でどちらか一方にしてくれと頼まれ、是正申告は取りやめた)。
  その後、訴訟でも、労基署でも、就業時間の特定が問題となったが、この点がまさに難関であった。武富士には当然にタイムカードのようなものはなく、しかも残業時間等の記載は、当該従業員が武富士の命令に基づいて自分で記入するという建前になっていたからである。ただ、武富士は、顧客と従業員を管理するために、顧客に対する電話による請求記録を残しており、そこには電話をした従業員名も記録されるようになっていた。従業員は始業から終業までほとんど電話による請求行為をしていたため、この記録こそが就業時間特定の手がかりであった。
  そこで、訴訟においては、原告がこの電話記録の提出を再三求め、武富士側は、その記録提出には、莫大な費用と時間(単純に推計しても数ヶ月かかると言っていた)がかかるとしてその提出を拒むという状況で行き詰まりを見せていた。
  ただ、弁護団は、その間、訴訟外では労基局と継続的に連絡を取り合い、捜査の進展による事態の打開を図っていた。労基局の対応はかなり慎重で、他の労基局との連携の問題や武富士の従業員が債務保証等で脅されていて協力を得られないなどの理由で、幾度か捜査が頓挫する危惧さえ生じたこともあった。弁護団は、労働局への申し入れを行い、また、労働局から要請される必要な協力を行うなどして捜査の進展を働きかけた。

 3 武富士本社等への捜索・差押及び訴訟上の和解
  2003年1月9日、大阪府労働局は、労働基準法32条及び37条違反の被疑事実で、武富士本社、同大阪支社を含む7カ所の捜索・差押を行った。労働局が、大企業に対して、強制捜査を行うことは極めて異例であるが、これは、労働時間管理の適正に対する労働局の強い姿勢の表れであり、また、本件事案として、全体の被害がかなり大きいものであること、武富士が度重なる是正指導にも応じようとしなかったこと、労働時間を特定できる内部資料が存在すること等の要因があったことによると思われる。
  この強制捜査の後、民事訴訟の方は急展開し、同年2月20日、和解が成立した。和解の中心的内容は、①請求していた残業代等のほぼ満額の支払い、②残業代未払についての謝罪、③適正な労働時間管理・賃金支払の宣言その他(公表できない内容もある)である。弁護団では、この和解の点でも相当議論をしたが、当事者の意思を尊重し、全面勝訴的和解を宣伝することの効果と、当該事案における立証の状況等から和解に踏み切った。

三 本事件に携わっての感想
 1 本事件において、最も重要だと思われるのは、残業代不払は犯罪であることを社会的に認知させた点である。
  従来、労働基準監督署は労働者からの是正申告に対して、申告後の改善のみを指導するという方法が行われていた。しかし、これでは、企業にとってはサービス残業を行わせた方が結果的に有利となってしまう。
  本事件は、単に不払賃金の支払をさせることで法律上当然の義務を果たさせたというにとどまらず、これを犯罪として認知させ、社会的ペナルティを与えたという点に大きな意義を見いだせる事件といえる。

 2 次に、労働者の権利を擁護・実現する上で、行政機関と連携することが必要であることを改めて感じた。
  労働行政機関に対する申告・告発等は、よく判らないとか、効果について疑問があるとか、役に立たないとかの理由で、積極的に活用される例が少ないように思われる。
  しかしながら、労働行政機関は一面では柔軟に、一面では権力的に、問題を処理する権限を与えられており、労働者の権利保護に大きな力を発揮する可能性があると思われる。
  本件においても、行政機関への告発とこれに基づく強制捜査の実現が、原告に支払われなかった賃金を支払わせ、それと同時に、約5000人の武富士従業員の残業手当未払分約35億円を支払わせる契機ともなったのである。
  行政担当者のやる気等にも大きく左右されるが、労働行政機関に対する申告・告発を、労働者任せにすることなく、弁護士が積極的に活用し、行政担当者を動かす努力を図ることが必要ではないかと思われる(別件ではあるが、クラボウ思想差別事件では、2003年6月10日、思想差別を認定した第一審判決も添付して、労基法3条違反で大阪労働局に告訴を行った)。
  なお、労働基準法違反や、労働安全衛生法違反について、労基署へ申告・告発するばかりでなく、派遣労働者や偽装請負・偽装業務委託的な労働関係に置かれている労働者について、派遣法違反・職業安定法違反を理由に、職業安定所に申告・告発することも有効であると思われる。殊に、後者については、労働者の法律上の権利保護が薄弱であるため、行政機関を活用した解決が最も効果的な場合が多い。

 3 さらに、本事件を通じては、行政機関の対応に比し、裁判所の対応が極めて消極的であった点が印象深い。
  本事件では、武富士がサービス残業をさせている事実については一部の証拠から明らかであったが、裁判所は、日々の就労時間の個別の立証を原告に求め続けた。
  しかし、タイムカード等での労働時間管理が適正に行われていない企業において、労働者側がこのような立証を完全に行うことはまず不可能といってよい。そして、このように労働者に過大な立証責任を課すことは、結局のところ、適正な時間管理をせず犯罪行為の隠蔽をうまくやっている企業の方が、仮にその犯罪が発覚した場合にも、民事上は得をし、労働者は労働基準法上の権利・利益を享受できないという結果となってしまうのである。
  就労時間の適正管理義務、その立証責任に関する立法的な手当が必要なところと思うが、そのような立法がない場合でも、適正な時間管理を行っていなかったことのリスクは企業が負担すべきなのであるから、少なくとも実際の労働時間についての蓋然的な立証を労働者側で行うことができた場合には、日々の就労時間についてより短かったことを使用者が立証する責任を負うと解すべきである。
  なお、武富士事件では、実労働時間を立証するための資料として、前記の電話記録の外に、店内に設置されたビデオテープや店舗の開閉に関する警備記録等が考えられたのであるが、対応が遅れたこともあって証拠収集ができなかった点が反省点として挙げられる。迅速な証拠収集は、労働事件に限らず、最も重要な活動であることを改めて感じている。

 4 最後に、労働者の権利を実質あるものにするためには、企業組織の内部に、企業の法違反を監視・告発する労働組合の存在が不可欠ということを強く感じた。
  武富士は長年にわたって残業代の不払を継続してきており(その不払額の合計は莫大な額になると思われる)、原告の勇気ある問題提起までその改善はなされなかった。それは、企業の法違反を監視・告発を行う役割を担う者がいなかったからである。
  外部的には、労働基準監督官がその役割を担う者と位置付けられているが、貧弱な労働行政のもと、この役割はほとんど果たされていない。
  とすれば、この役割を担うのは、現在のところ労働組合しかなく、これを育成・強化することが、労働者の法律上認められた最低限度の権利を実現するためにも必要であると思われた。
(弁護団は松本七哉、杉本幸生、河村 学)

CEDAW(女子差別撤廃委員会)の勧告 

2003-08-01

CEDAW(女子差別撤廃委員会)の勧告 ~ 2月と7月ニューヨークへ行って ~

 

弁護士 寺沢勝子

 

1 「条約に合うように世論を変え、法律を変えるのが義務でしょう」。「世論が」「社会的コンセンサスが」と言い訳をする日本政府に対して鋭い質問がされました。ニューヨークの国連本部、7月のCEDAWの審議の時のことです。私も日弁連の代表として審議の傍聴に行ってきました。

2 日本は1985年に女子差別撤廃条約を批准しましたが、4年に1回、国は条約を実施しているかどうかを国連のCEDAWに報告しなければならず、2003年7月に国連・女子差別撤廃委員会(CEDAW)で、第4回、第5回政府報告書の審議が9年ぶりに行われました。
政府報告書では日本の実際の女性のおかれている状況が書かれていないため、日弁連も含めて多くのNGOが実態を知ってほしいとレポートを提出。2003年2月には政府への質問事項を決めるCEDAWのワーキンググループの会合に、「実態はこうだから、こういう質問をしてほしい」と要請に行きました。この時には日本以外からはNGOの参加がなかったので、1時間かけて、日本の実情を話すことができました。

3 7月8日のCEDAWの審議には日本だけでNGO16団体57名が傍聴に行き、前日のCEDAW委員との会合では時間がないのでNGOが調整して各自2分づつ実情と問題点を発言しました。私はセクシュアルハラスメントの規制とドメスティックバイオレンス防止法の不十分な点を指摘しました。

4 7月8日のCEDAWの審議ではNGOが日本の実情と問題点をしっかり話していた効果がてきめんでした。
私が最も印象に残ったのは、条約を実施できていないことに対して政府はいつも、世論を言い訳に使っているのですが、「条約は女性に対する差別のある現状を変えること世論を変えることを国に義務づけている」ことをズバッと指摘されたことです。

5 審議の後、8月にCEDAWの最終コメントが出され、勧告がされました。
この勧告の特徴はこれまでに比べても、何をすべきかをはっきりと示していることです。

① 間接差別の禁止
「直接および間接差別を含む女性に対する差別の定義が国内法に取り込まれることを勧告する。」として、条約にあった差別の定義を法律できちんと規定するように勧告しています。

 日本政府は社会的コンセンサスを理由に検討中としてきましたが、コース別雇用管理制度の下での男女賃金格差、パートタイム労働者、派遣労働者の賃金の低さも差別として指摘して間接差別を禁止する立法をするよう勧告しています。

② 均等法の指針の改正
男女雇用機会均等法の指針は「雇用管理区分ごとに」と定めており、この区分が違うとどんなに差別があっても、区分が違うことを理由に均等法が適用されくなっていますが、この指針を変えるように勧告しています。

③ 配偶者暴力防止法は第1条で暴力の定義を身体的暴力に限っていますが、「様々な形態の暴力を含めることを要請する」としています。

④ 条約について、特に間接差別についての国会議員、司法関係者、法曹一般を対象とした意識啓発のためのキャンペーンを行うことを勧告しています。

⑤ 家庭責任と職業上の責任の両立を可能にする施策の強化・家庭内の仕事の男女間での平等な分担の促進

⑥ 選択議定書の批准は、司法の独立を強化し司法が女性に対する差別を理解するうえでの手助けとなるとして批准を推奨しています。

6 私たちがレポートを準備しニューヨークに出掛けた成果がしっかり勧告に現れているので、是非ともこの内容を実現していきたいと思っています。

A広告代理店事件

2001-02-26

A広告代理店事件(K事件)弁護士 河村  学   

1 本事件は、大手広告代理店に派遣社員として就労を継続してきたK氏が、実質的な解雇の宣告を跳ね返し、
当該 広告代理店の直接雇用を勝ち取った事例である。

2 紛争の経緯
 Kさんの就労の経緯は、本人の言葉によれば次のようなものであった(民主法律時報340号参照)。
 「私は、広告代理店であるA社の関西支社に16年前、業務委嘱(直接雇用)として入社しました。当時、勤続年
数の長い人から先に準社員になれる制度がありましたが、突然廃止され、B社というグループ内の派遣会社に身分
を 移され、11年前に派遣社員として身分変更を余儀なくされました。その際の会社説明会で、「会社の都合によ
り皆さんは派遣社員となりましたが、B社の免許では関西では派遣業務ができないので、A社にて定年まで勤めるこ
とができます」と約束されました。以降11年間、正社員と仕事の内容が同じなのに待遇面ではかなりの格差はあり
ました。しかし、仕事についてはやりがいのある仕事でしたので、会社に対して不満は一切言いませんでした」
 このように、K氏は、A社の都合で、準社員登用慣行の廃止や派遣会社への転籍などが一方的に行われ、また、A社
正社員と比べて半分以下の賃金であることをはじめ、差別された労働条件の下におかれながらも、仕事がしたいとい
う思いで文句も言わず働いてきた。しかるに、A社は非情にも、K氏を他の短期の派遣社員と同列に扱い、2000
年3月末に派遣契約を終了する旨の話をしてきたのである。
 しかも、その派遣会社であるB社は、A社の子会社で、かつ、関西に事業所はなく、就業状況の確認等の連絡は専ら
FAXのみで行うだけで、有給休暇の取得等もA社の職制に届けるなど、労働条件の決定に関する事柄はすべてK氏
とA社との間でなされてきたのであり、B社の関与は全く名ばかりのものであった。

3 闘いの内容
 K氏から相談を受けた派遣研究会では、すぐさま弁護団を結成し、また、K氏と広告ユニオンとをつないで、今後の
方針を協議し、雇用継続を最重要課題として取り組むこととした。
 その後、弁護団から直接雇用を求める内容証明を送り、それと同時に派遣法違反で公共職業安定所への申告を行っ
た。また、広告ユニオンへの加入通知と団交申入をA社に行った。このようなK氏の対応にA社はかなり驚いたよう
で、3月末の期限直前にようやく「2000年4月から6か月間は従前と同様の派遣社員として就労させ、その後は
業務委託とする」との回答があった。
 対策会議では、この提案をのまなければ3月末の雇い止めもあり得るということで対応に苦慮したが、6か月の雇用
約束というだけでは根本解決にならないことと、雇い止め(解雇)されてもいいから徹底的に闘いたいというK氏の
熱意があったことから、あくまで直接雇用を求めていくことを確認した。
 その後、少なくとも6か月は暫定的に現在の状態で推移させるべきことをA社側に申し入れた後、東京の渋谷職安か
らも3月末に雇い止めをすることがないよう指導させ、4月以降は事実上就労を継続した。これに対しA社は9月
30日で派遣契約を終了するとの記載を盛り込んだ雇用契約書への押印を迫ったり、従来認められてきた人事異動の
際の説明会に参加させなかったりとの対応に出てきたが、弁護団はすぐさまこのような雇用契約書への押印は拒否す
る旨内容証明を送ると同時に、A社側の要請を無視して従前どおりの就労を継続した。そして、このような状態で
あったが4月分の賃金も従来通り支払われ、9月までの就労は事実上確かなものになった。
 その後、直用化交渉は難航し、7月に入ってもA社は「9月からは業務委託」という態度を変えようとしなかった。
この間、弁護団では何度か大阪府労働局へ指導を出させるための交渉を行っていたが、暫定的な雇用状態の終期が近
づくに及んで、地位確認訴訟の提起を準備するとの方針を立てた。
 ところが、7月末になって、急速A社から、直接雇用を認める旨の連絡が入った。その背景には、渋谷職安からB社
への調査が入り、K氏の件を解決しなければ業務停止もあり得るとの厳しい指導があったようである。
 8月に入ってからは、具体的契約条件を詰め、結局、60歳定年まで働く嘱託社員として直接雇用を認める。賃金に
ついては、正社員の8割程度で、従来からすれば200万円程度のアップを認める。従来の就労期間については嘱託
社員として経過換算する等の条件で合意することとなった。

4 若干の感想
 本事件は、派遣労働者が長期に派遣先で働いてきた場合の解決方法として、現段階では最も望ましい形で決着ができ
た事例であると思われる。このような決着ができた要因は様々あるが、大きな要因として、解雇の危機に直面したK
氏が、従前より仕事にやりがいを感じ生き生きと就労してきたこと、判断が難しい局面でも「解雇されてもいいから
自分の考えが間違ってないということを認めさせて欲しい」と闘う姿勢を明確にし、かえって周囲を励ますという態
度であったことは特に指摘しておきたいと思う。K氏は現在も従前の職場でバリバリと楽しく働いておられるようで
ある。

5 最後に(K氏自身の感想から)
 「私の勝利です。1999年の11月からの9か月間長いたたかいでしたが、4人の弁護士の方々、広告ユニオンの
方々、ハローワーク、応援をしてくださったA社の正社員の方々、そしてA社の正社員として勤めていながら「会社
は間違っていると思う。気の済むまでたたかえ』と言ってくれた夫。このたくさんの方々が、私のために力を貸して
くださったおかげで勝つことができました。何度か途中で諦めかけましたが、みなさんの励ましでここまでこられ
て、本当に泣き寝入りせずたたかってよかった。2000年10月1日から、嘱託社員になれました。本当にありが
とうございました。」

不動信用金庫事件報告

2000-01-01

不動信用金庫事件報告

弁護士 杉島 幸生

(2000年1月1日事務所ニュースより)

金融ビッグバンと庶民金融

金融ビッグバンと言う言葉をお聞きになったことがあるでしょうか。海外資本に金融市場を開放することになったので日本の金融機関ももっと体力(資本力)をつけて、海外資本に負けないようにしようということです。
しかし、これは体力のない金融機関はいまのうちにつぶれてもらうということにほかなりません。こうした金融ビッグバンの影響で、今、全国で地方銀行や庶民の金融機関といわれた信用組合・信用金庫の再編・破綻処理があいついでいるのです。
これまで信用組合や信用金庫は、大手都市銀行がなかなか資金を提供しようとしない中小零細企業を対象として金融業務を行ってきました。
ところが金融当局は、①2期連続黒字、②一度の支払遅滞もない、③支払条件の変更がないことが国際基準だと称して、この基準にあわない貸付を不良債権に振り分けてきました。この基準だと多くの中小企業への貸付が不良債権と認定されることとなります。その結果、その企業は即座の返済を迫られたり、これからの融資をうち切られたりすることになってしまいます。

弱者切り捨ての金融再編

不動信用金庫も、金融監督庁の突然の査定の結果、債務超過(破綻状態)と認定されました。そして、不動信用金庫は、その破綻処理の方法として「不動信用金庫の各店舗・資産を10分割したうえで府下10の信用金庫が事業譲渡を受ける。しかし、不良債権と不動信用金庫に働く労働者はひとりも承継しない」という異例のスキームを採用したのです。
この背景には、不動信用金庫に存在しているたたかう労働組合(不動信用金庫従業員組合)の組合員を引き継ぐのはいやだという受け皿信金の不当労働行為もありました。
これによって、不動信用金庫に働く労働者169名は全員解雇されました。その結果、受け皿となった各信用金庫は、不良債権(顧客)と労働者は排除しながら、不動信用金庫の資産をまるまる無償で譲り受けることとなったのです。
また、受け皿信金に引き継がれた債権(顧客)についても、事情のわかる不動信用金庫の労働者がひとりも引き継がれないことから、過去の実績やこれまで築いてきた人間関係は評価されません。
ここでは、「人と人、顔の見えるおつきあい」を売り物としてきた地域の庶民金融機関としての信用金庫の役割はまったく省みられていません。結局、金融ビッグバンは、中小零細企業や労働者を切り捨てることで、生き残り信金の経営基盤を強化しようとするものでしかなかったのです。

たちあがった不動信金労働者

不動信用金庫の労働者たちは、このままでは顧客も自分たちも切り捨てられてしまうという怒りからたちあがりました。不動信用金庫と各受け皿信金の間で結ばれた事業譲渡契約は、雇用や労働組合の存在を無視した違法・無効なものであるとして事業譲渡契約の履行手続の停止を求めて大阪地方裁判所に仮処分の申立を行ったのです。
各信用金庫の経営者たちは事業譲渡という形式をとれば、雇用を承継しまいと不良債権を切り捨てようと自分たちの好き勝手にできるのだという主張を繰り返していますが、このような勝手気ままがゆるされていいはずはありません。
この裁判には、「事業譲渡と雇用承継」「採用の自由・契約の自由の限界」といった法律上の難しい論点が含まれています。しかし、このまま、この方式がまかり通るとなれば、使用者は事業譲渡という形式で自由に労働者を解雇できるし、気に入らない顧客を自由に切り捨てることができることになってしまいかねません。
このような使用者の勝手気ままなやり方を、今後、他の分野においても通用させないためにもこの裁判はぜひとも勝たなくてはなりません。
私も不動信用金庫の原告代理人の一人として、このスキームを阻止するために全力を尽くしています。ぜひともご支援・ご協力をお願いします。

仲立証券争議

1999-10-01

仲立証券争議

弁護士 松本七哉

1、仲立証券は、資本面でも役員人事面でも大阪証券取引所がほぼ完全に支配する、取引所の子会社である。通常の証券会社とは異なり、取引所内にあって、株式等の売買の媒介を業としており、各証券会社が各取引ごとに支払う仲立手数料によって経営を維持してきた。しかし、取引のコンピュータ化が進むなかで、人手を介しての取引がしだいに縮小されていくとともに、証券ビッグバンと呼ばれる証券業界の規制緩和、合理化のなかで、仲立業務自体が不要なものとして排除の対象とされていった。

2、ところが、仲立証券には、大阪証券労働組合に結集する強力な組合があった。そこで、大阪証券取引所は意図的に仲立証券を経営危機に追い込み、強力にリストラを行ったうえで、1999年5月、仲立証券を廃業させ、残った従業員40名を全員解雇させた。このようにして起こったのが仲立証券争議である。解雇の対象となった40名は、全員が大証労組の組合員であり、彼らを北浜の地から放逐するのが取引所のねらいであることは明らかであった。

3、仲立証券自体は清算会社として存続していたが、死に体であり、争議の相手方ははじめから取引所であった。組合員らは、取引所に対して団体交渉を求め、地位確認の訴訟を提起した。従って争点は、団体交渉における使用者性、法人格否認の法理の適否など、使用者概念の拡張にあった。 残念ながら、訴訟等は、最初の団交拒否の事件で、地労委、中労委で勝利命令を勝ち取った以外は、敗訴が連続しているが、争議自体は、取引所の不正事件の追及とも連動させて、現在も意気軒昂に闘われている。

サンヨー電機に勝って職場復帰

1992-02-28

パートのおかあちゃんたちのたたかい

                         弁護士 寺沢 勝子

1987年3月、サンヨー電機は、不況を理由に、1500名パート・定勤社員を一斉に解雇。「争議」と言えば、「何処で葬式あるの」、「ナショナルセンター」と言えば「うちはサンヨーやのに、ナショナル(松下電器)と何の関係があるの」と言っていた15人が、「私たちがテレビやビデオをつくってきたのに、突然クビやなんて許せない」と労働組合を結成して、立ち上がりました。

1990年2月20日、大阪地裁の仮処分決定に続く、1991年10月22日の仮処分異議でも勝訴、大きな運動の拡がりで、1992年2月彼女たちは職場復帰を果たしました。労働組合の「ろ」の字も知らなかった彼女たち、駅前でのビラ配り、雨の日も、風の日も、ものともせず会社前での座り込み、全国から集まった要請署名を毎日、裁判所に届けました。

裁判で勝てても職場に実際に戻るのは難しいのに、彼女たちの成長と運動もさることながら、全国的に拡がった大きな運動のおかげで職場に復帰できた彼女たち。

これで終わらず、その後も運動を続けました。正社員の定年年齢は60歳なのに、定勤社員の雇止め年齢が56歳なのは差別だとして提訴、地裁では負けましたが、高裁で和解が成立、雇止め年齢の差別もなくなることになりました。

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