東大阪中河内救命救急センター事件報告
東大阪中河内救命救急センター事件報告
2025.3.5 弁護士 杉島幸生
1 就労請求権って、知っていますか
労働者は、使用者から不当な解雇や配転がなされたときに正式裁判や可処分手続で解雇無効や配転命令の無効を争うことができます。では、裁判所で解雇無効、配転無効が認められたとき、その労働者は、使用者に元の職場で働かせろということができるでしょうか。これを就労請求権といいます。
2 めったに認められない就労請求権
解雇や配転が無効となれば、労働者は当然職場への復帰を求めることになります。その労働者にしてみれば、元の職場以外に働く場所はないのですから、その反面として、使用者に元の職場で働かせろと請求できると考えるのが常識的な判断でしょう。ところが現在の裁判所は、こうした労働者の就労請求をめったに認めません。それは、裁判所が、解雇や配転が無効であっても、使用者としてはその労働者に賃金さえ支払っていれば労働契約上の義務を果たしたことなると考えているからです。この立場から裁判所は、職場で働くことに使用者が尊重すべき特別な利益がある場合でなければ、原則として労働者には就労請求権はないとしています。確かに賃金が支払われることは大切です。しかし、私たちは、なにもお金のためだけに働いているのではありません。その仕事へのやりがいや職場での人間関係の形成など賃金だけではない何かを求めて働いているはずです。現在の裁判所の考え方は、こうした「働きがい」「働く意味」に対する理解を欠いています。
3 就労請求権が認められた画期的な決定
N医師は、東大阪市内にある中河内救命救急センターで働く救命救急外科医です。職場でリーダー的立場にあったN医師は仲間たちとともに、当時の医院長や事務局長の不正を内部告発しました。すると突然、別の病院に配転を命じられたのです。N医師は救急外科医として専門医資格を有しています。この資格を維持するためには、規定の年数内に規定の手術数を実施していなければなりません。しかし、配転先ではそれだけの手術数を確保することができず、このままではN医師が専門医資格を喪失するのは明らかでした。そこで、N医師は大阪地方裁判所に、配転先で勤務すべき義務のないことの確認と、使用者は、元の職場である中河内救命救急センターで救命・救急外科医として働くことを妨げてはならないという仮処分の申立を行いました。病院は、配転の理由はN医師のパワハラだなどと当初は言ってもいなかった様々な配転理由を持ち出しました。しかし、大阪地裁労働部は、使用者である病院の主張をすべて排斥し、病院にはN医師の専門医資格を維持するために協力する義務があり、そのためにはN医師が元の職場で救急救命外科医として働くことを妨げてはならないという決定を出しました。これは数十年ぶりに労働者の就労請求権を認める画期的なものでした。
4 違法と知りつつ就労を認めない病院
ところが病院側は、N医師の就労請求権を認める決定が出たにもかかわらず、それを守ろうとはしませんでした。裁判所の決定をもとに、元の職場に出勤しようとしているN医師に対して、病院の入口に職員を配置して実力で立ち入りを妨害するという暴挙にでたのです。私たちは、病院の代理人弁護士に厳重な抗議をしましたが、病院側の弁護士は、違法な行為であることは分かっているが、病院があえてそうするとしているのだから止めることはできないと無責任な態度に終始しました。N医師は、毎日、病院に出勤しては、立ち入りを拒否されるという日々を過ごさなければなりませんでした。
5 病院の違法な態度を後押しする執行裁判所
裁判所の決定がでれば病院もそれに従うだろうと考えていたN医師の期待は裏切られました。そこで、N医師は、あらためて裁判所に仮処分決定の執行を求めることとしました。もともとの決定は、中河内救命救急センターで救命・救急外科医として働くことを妨げてはならないというものでした。これを不作為(してはならない)義務命令といいます。通常、執行を担当する裁判所は、こうした不作為義務命令については、義務者に1日いくらという制裁金の支払を強制することでその実行を間接的に強制しようとします。ところが、今回、執行を担当した裁判所は、N医師からの間接強制の申立を認めませんでした。
もともとの仮処分決定の内容では、使用者である病院側が何をすれば、救急救命外科医として働かせたことになるのかが不明確であるから、裁判所としてその実行を使用者である病院に命じることはできないというのが理由です。しかし、労働者の側から使用者が何を命じるべきなのかを事細かに特定することは不能です。通常、不作為義務に対する間接強制命令では、実現すべき結果が明らかであればよいとされています。救急救命外科医の仕事は、救急車で運ばれてくる患者を手術することであって、それに使用者から事細かな指揮命令は必要ありません。そうであるにもかかわらず、それが特定できないから執行できないとする執行裁判所の態度は、せっかく就労請求権を認めた仮処分決定を「絵に描いた餅」にしてしまうものです。まったくもって不当な判断というほかはありません。
6 それでも戦いを続けるN医師
仮処分決定で、職場復帰を実現することはできませんでしたが、N医師は職場復帰をあきらめてはいません。それは現場に残された若い医師たちに自分の技術を継承し、働きがいのある職場を残してやりたいという強い思いがあるからです。現在、N医師は、中河内救命救急センターで緊急外科医として勤務できなかった日数に応じた損害賠償の支払いを求める正式裁判を提起して戦っています。病院側は仮処分手続で裁判所から否定された理由を持ち出して抵抗しています。仮処分でだめなら、正式裁判で職場復帰を実現する。N医師のたたかいはまだ続きます。