サンヨー電機に勝って職場復帰
1992-02-28
パートのおかあちゃんたちのたたかい
弁護士 寺沢 勝子
1987年3月、サンヨー電機は、不況を理由に、1500名パート・定勤社員を一斉に解雇。「争議」と言えば、「何処で葬式あるの」、「ナショナルセンター」と言えば「うちはサンヨーやのに、ナショナル(松下電器)と何の関係があるの」と言っていた15人が、「私たちがテレビやビデオをつくってきたのに、突然クビやなんて許せない」と労働組合を結成して、立ち上がりました。
1990年2月20日、大阪地裁の仮処分決定に続く、1991年10月22日の仮処分異議でも勝訴、大きな運動の拡がりで、1992年2月彼女たちは職場復帰を果たしました。労働組合の「ろ」の字も知らなかった彼女たち、駅前でのビラ配り、雨の日も、風の日も、ものともせず会社前での座り込み、全国から集まった要請署名を毎日、裁判所に届けました。
裁判で勝てても職場に実際に戻るのは難しいのに、彼女たちの成長と運動もさることながら、全国的に拡がった大きな運動のおかげで職場に復帰できた彼女たち。
これで終わらず、その後も運動を続けました。正社員の定年年齢は60歳なのに、定勤社員の雇止め年齢が56歳なのは差別だとして提訴、地裁では負けましたが、高裁で和解が成立、雇止め年齢の差別もなくなることになりました。
カテゴリー: 労働